有名なスポーツ選手たちは世間の注目を浴び、プロスポーツ選手として、セレブリティとして、自分が大衆のお手本であることを自覚し、行動します。
スポーツ界でトップに上り詰めることは、スポーツをする者にとっての夢。しかしトップアスリートになることができるのは、並大抵ではない努力と生まれ持った才能を持つ、ほんの一握りの者たちです。
ひとたびトップに上り詰めると、またはトップになるために、多かれ少なかれプレッシャーを感じることでしょう。選手たちの中にはそれに耐えられず、様々な悪癖に陥ったり、誤った判断をしてしまう人も少なくないようです。
今回はこれまでのスポーツの歴史の中で、人が羨む名声を手にしながらも誤った判断からそのキャリアを台無しにしてしまった5人のスター選手たちによる悲しい事件を紹介します。
順位はライター自身の衝撃度によるランキングなので、悪しからず!
🏀元バスケットボール選手
ポジションはフォワードでしたが、あらゆるポジションをこなせるNBA屈指のユーティリティプレーヤーだったラマー・オドム。かつての交際相手との間に2男1女を授かりましたが、2006年、次男は生後6ヶ月で乳幼児突然死症候群により突然死。悲しみの中、交際相手との間にも亀裂が生まれ、別れました。
それから3年経った2009年、タレントのクロエ・カーダシアンと電撃結婚し、幸せそうに見えたオドムですが、2013年に飲酒運転で逮捕され、アルコール依存症が発覚し治療を受けています。しかしその前からゴシップサイトではオドムが薬物を乱用していると報道し、クロエとの不和も噂されていました。
そして2015年、オドムはネバダ州にある合法売春宿「ラブ・ランチ」で意識不明の状態で発見され、病院に運ばれます。
発見される数日前からコカインを使用していたオドムは、腎不全と数回の心臓発作、12回の脳卒中を起こし、昏睡状態となって生命維持装置につながれました。
その3日後、オドムは奇跡的に意識を取り戻し、目覚ましく回復。この時、「バスケットボールキャリアの終わりが早くやってきた事に気付いた」とオドムは語っています。
⛸元フィギュアスケート選手
1991年の全米選手権でトリプルアクセルを成功させ、初優勝を果たしたトーニャ・ハーディング。当時、女子選手でトリプルアクセルを成功させたのは、伊藤みどりに次いで史上2人目でした。
多くのフィギュアスケーターとは異なり、ハーディングは貧しい家庭の出身で、狩りや釣りをしたり、自動車整備が得意だったり、タバコを吸ったりと、スケート界では異端児として知られていました。
しかしその運動能力の高さから、ハーディングは女子スケート史上最高のジャンパーとなり、当時大きなライバルとなるのはナンシー・ケリガンのみ。
ケリガンはハーディングほどのジャンプ力は持っていないものの、美しく上品、そしてその優雅さで世間からの支持を得ていました。ハーディングは、富と支持を得るにはリレハンメルオリンピックで金メダルを獲得するしかない・・・という思いが強くなります。
1994年1月6日、全米フィギュアスケート選手権の前日、練習を終えたケリガンが何者かに襲われる事件が発生しました。右膝を殴打され、骨折はしていなかったものの酷い打撲傷を負い、全米選手権を断念せざるを得ない状況に。
その結果、全米選手権ではハーディングが優勝し、オリンピックへの出場権を獲得しました。
それから2週間後、 ケリガンを襲った犯人が逮捕されました。犯人は、ハーディングの元夫であるジェフ・ギロリーに雇われていたのです。捜査が進むにつれ、ハーディングがケリガン襲撃事件に関与していたことが判明し、1994年に米国フィギュアスケート協会から永久追放処分を受け、ハーディングのスケート人生の幕は閉ざされました。
🏈元アメリカンフットボール選手
フリーウェイでのカーチェイスが生中継されるなど、全米中、いえ、世界中が注目した事件がこちら、OJシンプソン事件です。この裁判は「世紀の裁判」とも呼ばれました。
アメフト界のスーパースターであり、プロフットボールの殿堂入りも果たしたシンプソンは、引退後も俳優やコメンテーターとして活躍していました。
ところが1994年、シンプソンは元妻のニコール・ブラウン・シンプソンと、その友人のロン・ゴールドマンを殺害した容疑で逮捕されます。
シンプソンに不利と見られる証拠品が揃っていましたが、シンプソンは全米一の弁護士たち、各分野でトップの人材を集め、弁護費用は当時で5億円と言われる「ドリームチーム」と呼ばれた弁護団で立ち向かいました。
この事件は被害者が白人、容疑者が黒人だったため、人種問題が大きく取り上げられた裁判となりました。シンプソンの弁護団は、殺害された2人の血液が付着した皮手袋を発見した刑事が人種差別主義者だったこと、シンプソンから採取した血液は8ccのはずが鑑識の際には6ccに減っていたこと、殺害に使われた凶器が発見されていないことなどを指摘します。
刑事裁判でシンプソンは無罪を勝ち取りましたが、被害者の家族は彼に対して民事訴訟を起こし、1997年、民事裁判所は被害者の不当な死に対して3,350万ドルの判決を下しました。
2007年、シンプソンはラスベガスで武装強盗と誘拐の重罪で逮捕され、翌年に有罪判決を受け、最低9年仮釈放なしの刑を宣告されました。9年間服役した後2017年7月に出所し、現在も仮釈放中で年金生活を送っています。
🏈元アメリカンフットボール選手
2013年6月、24歳のヘルナンデスは婚約者の妹の交際相手、オーディン・ロイドを拳銃で5発撃って殺害した疑いで逮捕されました。逮捕直後、ヘルナンデスは所属していたペイトリオッツより解雇されています。
ロイドがヘルナンデスの自宅から1マイル離れた工業団地で射殺された前夜、ヘルナンデスは友人に「もう誰も信用できない」とメッセージしていました。
ロイドの死の10時間前には、ヘルナンデスはマリファナの入ったバッグについてロイドに連絡を取っており、ヘルナンデスがレンタルしていた車の鍵がロイドのポケットから見つかっています。検察は、ロイドがヘルナンデスに信頼を失うような発言をしたことで、ヘルナンデスに殺害の動機を与えたと考えていました。
そして2015年4月、ヘルナンデスは執行猶予及び仮釈放なしの終身刑を言い渡されました。
2年後の2017年4月、ヘルナンデスが独房の窓からシーツで首を吊っているのが発見され、救急搬送されましたが搬送先の病院で死亡が確認されました。
ヘルナンデスには繰り返しの頭部外傷によって引き起こされる、進行性の慢性外傷性脳症慢性外傷性脳症(CTE)の兆候が見られたため、彼の死後、家族の要請により脳が調査されました。
調査の結果、ボストン大学の研究者たちはヘルナンデスの脳をステージ4のうち3と診断し、判断力の低下、衝動制御の欠如、攻撃性、パラノイア、感情の起伏、怒りの行動などをもたらすCTEが、ヘルナンデスの犯罪行為やその他の行動の一部を説明しているのではないかと示唆しています。
🏃元パラリンピック/オリンピック陸上選手
生まれつき両足の腓骨が無い先天性の身体障害のため、生後11カ月で両足を切断したピストリウス。「持っている障害によって障害者になるのではなく、持っている能力によって能力者になるのだ」をモットーに、パラリンピックとオリンピックの両方に出場した10人目のアスリートとなりました。
炭素繊維製の競技用義肢を使用していることから【ブレードランナー】とも呼ばれ、両足切断者クラスの100m、200m、400mの世界記録保持者であり、健常者のレースにも参加するなど、世間の注目を集めました。
南アフリカのスターとなったピストリウスは、2013年2月14日の早朝、プレトリアの自宅にてモデルの恋人、リーバ・スティーンカンプを射殺し、逮捕されます。
銃でバスルームにいたスティーンカンプをドア越しに4発撃ったピストリウスは、「侵入者と誤認した」と主張しましたが、検察は過去にDV(家庭内暴力)で通報された経歴のあるピストリウスの計画的殺人であると主張しました。
しかし検察は計画的であった事を立証できず、2014年9月、高等裁判所は殺人については無罪、過失致死については有罪となり、5年の実刑判決を下しました。
ピストリウスは2015年、一時的に自宅軟禁状態で釈放されましたが、その間に南アフリカ共和国最高裁の控訴審に提出され、同裁判所は殺人罪の評決を覆して有罪とし、ピストリウスの刑期を6年に延長。しかし国がより長い刑期を求めて控訴したため、最高裁は刑期を13年5カ月に延長し、更に2017年には15年に延長されています。
ピストリウスは、2023年に仮釈放の資格を得ることになっています。
⛳ゴルフ選手
歴代のプロゴルファーの中でも、最も優れたゴルファーの一人として位置づけられているのがタイガー・ウッズ。富と名声を手に入れたウッズですが、あるスキャンダルをきっかけに完璧な人生は狂い始めます。
2010年、タイガー・ウッズの妻、エリン・ノルデグレンは、放置されていたウッズの携帯電話のメッセージを覗いたところ、女性2人と浮気していることが分かりました。ノルデグレンはゴルフクラブを振り回してウッズを家から追い出し、この事件はニュースになりました。
すると、ポルノスター、ストリッパー、エスコートサービス、パーティーガールなどがタイガー・ウッズとの関係を次々と告白し、愛人の数は15人、そのうち1人は未成年。
ウッズが複数の不倫を認めると、AT&T、ゲータレード、ゼネラルモーターズ、ジレット、タグ・ホイヤーなど、ほとんどの企業がウッズとのスポンサー契約を終了しました。
更にセックス依存症のためにウッズはリハビリ施設に入院し、世間を驚かせました。
妻のエリン・ノルデグレンとは離婚し、ゴルフからも遠ざかっていた2017年、車の中で寝ていたウッズを警察が発見し調べたところ、体内から5種類の薬物(鎮痛剤2種・不安薬・睡眠薬・マリファナに含まれる成分)が検出され、1年間の保護観察処分、罰金、定期的な薬物検査、社会奉仕活動を課せられました。
キャリアもこれでお終いか・・・と囁かれましたが、2018年にゴルフへ本格復帰し、2019年にはマスターズで14年ぶりに5度目の大会制覇。
本来のウッズに戻ったかと思われましたが、2021年2月に制限速度の倍のスピード(約140㎞)で単独事故を起こし、足を複雑骨折。
実にアップダウンの激しい人生を送っているようです。
トップに上り詰めるのは難しいものですが、一旦トップに立つと、そこに留まり続けるのも難しいものです。
一つの過ちでスターの座から転がり落ちていった選手たちは、他にも沢山います。
そんな話を聞くたびに、トップに上り詰めるとあとは下るだけなのか・・・という思いが頭を過ぎります。
もしかすると、人は富と名声を得ると、変わってしまうのかもしれませんね。
この6人のスター選手たちから教訓を得て、苦労してやっと得たものをたった一つの間違いで失ってしまわないよう、気をつけましょうね。