2007年、ネブラスカ州オマハの富豪実業家テリー・ワタナベは、主にシーザースパレスとリオで2億ドル(220億円)以上の負けを喫しました。これは、ラスベガスの負け額としては不滅の偉業です。今、ワタナベの人生とその負けっぷりを描いた映画の製作が計画されています。
Deadlineの報道によると、Foundation Media Partnersはテリー・ワタナベの富豪から地に落ちた人生の物語の独占権を確保しました。同社は、この伝説的なホエールについての長編映画、ドキュメンタリー、書籍の制作を希望しています。ワタナベ氏は、2010年にシーザース・エンターテインメント(当時はハラーズ)と訴訟で和解して以来、ラスベガスでの経験について公には語っていません。
カジノ運営会社はテリー・ワタナベがギャンブルで失ったツケを追及して訴え、ワタナベ側の言い分は、カジノ側は泥酔状態でのギャンブルを許し、搾取したというものでした。
テリー・ワタナベは、父親が営んでいた貿易会社「オリエンタル貿易」を、年商3億ドルの企業に育て上げ、財を成しました。2000年に全株式をブレントウッド・アソシエイツ社に売却して退社。大金持ちになった彼は、残りの人生を慈善事業に捧げようと決心し、エイズ研究にも数百万ドルを寄付しています。
しかし、それまでの生活を支えていた仕事がなくなると、彼は退屈に感じました。アイオワ州のカジノでギャンブルを始め、ついにはラスベガスまで足を伸ばすほど中毒に陥ってしまいました。
テリー・ワタナベが最初に住み着いたのは「ウィン・ラスベガス」。しかし、ワタナベのギャンブルの仕方が当時のCEOであったスティーブ・ウィンの目に留まり、「ギャンブル中毒とアルコール依存症」であるとして出入り禁止となりました。
しかし、シーザーズは寛大でした。ローリング・ストーンズのチケットや50万ドル分のギフトバウチャーをワタナベにプレゼントしており、同カジノのロイヤリティプログラムでは、ワタナベを「チェアマン」という特別なランクに設け、 「7スター」VIPとなっていました。
2007年、テリー・ワタナベは連敗を続け、時には1回のセッションで500万(5億5千万円)ドルもの大負けを記録しました。裁判資料によると、彼はブラックジャックを同時に3ハンドプレイすることもあり、各ハンドは5万ドル(550万円)だったとか。
ワタナベは法廷で、シーザーズがギャンブルを続けさせるために酒と処方箋薬を飲ませたと主張しましたが、シーザーズはこれを否定。シーザース・エンターテイメント社はその年、年間ギャンブル収入の約5.6%をワタナベから得ていました。
2017年、無一文になったワタナベは前立腺がんの手術のために必要な10万ドルを集めるため、GoFundMeキャンペーンを始め、こう語っています。
「私は自分の状況を受け入れたし、自分を哀れんだりはしません 。しかし私の願いは、あなたが私の過去を許し、将来、他の人を助けるために私が長生きするのをサポートしてくれることです。」
ニュースソース:https://deadline.com/2022/09/foundation-media-partners-secures-rights-to-story-of-high-roller-terry-watanabe-1235119748/
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