ポーカー界の伝説、ドイル・ブランソンが89歳で死去

ドイル・ブランソン死去
著者: Tomo Tomo
掲載日    |   更新日

ポーカー界は偉大なスタープレイヤーを失ったことに動揺しています。 ポーカー界のゴッドファーザーとも言えるドイル・ブランソンが、日曜日にラスベガスで死去しました。 享年89歳。死因はまだ発表されていません。

ドイル・ブランソンは、優秀なポーカープレイヤーというだけでなく、真のポーカー紳士としてファンやポーカー仲間たちの記憶に残っています。

「悲しみと共に父、ドイル・ブランソンが亡くなったことをお伝えします」と、代理人ブライアン・バルスボーがブランソン家を代表して日曜午後6時12分にツイートしました。

「彼は敬虔なクリスチャンであり、夫であり、父親であり、祖父でした。 彼の功績を讃えながら、今後数日にわたってさらにお伝えしたいことがあります。 ドイルと私たちの家族を祈り続けてください。 彼が安らかに眠れますように。」

「テキサス ドリー」という愛称で呼ばれたドイル・ブランソンは、1976 年と1977 年のワールド シリーズ オブ ポーカー(WSOP)のメインイベントを含むトーナメントで10回優勝。これは、フィル・ヘルミュースの16回のWSOP優勝に次いで2番目の記録です。

1978 年のブランソンの著書『スーパーシステム』は、出版前に専門家だけが知っていた戦略を明らかにしたもので、ポーカーのバイブルとして広く認められています。

「もうドイル・ブランソンは現れない」と、WSOP 6回チャンピオンのダニエル・ネグラヌ(ブランソン氏に触発され、ポーカーに人生を捧げるようになったポーカースターのうちの1人)は日曜日の夜にツイートしました。

「この日が来たことが信じられません」と、WSOPで5回優勝したスコッティ・グエンは付け加えました。「ポーカー界の紳士であり、神話であり、伝説であり、ゴッドファーザーであるあなたは、これからも私たちの心の中で高く評価され続けます…」

ドイル・ブランソンの人生

1933年にテキサス州ロングワースで生まれたブランソンは、ハーディンシモンズ大学でバスケットボールのスター選手でした。しかし膝の怪我により、NBAに入るという彼の夢は打ち砕かれたものの、1950年代初頭にポーカーと出会い、教育費と医療費を賄うのに十分な才能を発揮しました。

ブランソンは1962年に結婚し、妻ルイーズと共に1970年代、ラスベガスに定住しました。 ここでブランソンは世界のポーカーチャンピオンになり、世界最高のプレイヤーたちを破って数百万ドルを稼ぎ、1988年にポーカーの殿堂入りを果たしました。

ワールド シリーズ オブ ポーカーのツイッターには、「史上最大のレジェンドのご冥福をお祈りします。 完璧なプレイヤーであり、紳士でいてくれてありがとう。 誰もあなたの席を埋めることはできません。」とコメントされています。

ニュースソース:https://deadline.com/2023/05/doyle-brunson-dead-godfather-of-poker-card-game-theory-author-was-89-1235366639/

関連ニュース:

生ける伝説ドイル・ブランソン、WSOP2021参加に意欲

第54回 WSOP 2023 クイックガイド

歴代ポーカー賞金世界ランキング!2022年10月13日現在

このニュース記事を共有する
Tomo
著者について
幼い頃からトランプと花札に親しみ、パチスロ、競馬、競艇と、とにかく【賭ける】ことが大好き♡日本を飛び出しマルタに上陸、仕事を見つけるまでの1年間、毎日ランドカジノに入り浸りw。そのギャンブル好きが買われ、オンラインカジノ、ブクメのサポート、某大手アフィリエイトのメインライターを務めた後、ここ、ジャパギャンヘ!好きなゲームはテキサスホールデム、BJ、そしてEスポーツベット!ゲーミング業界人とプレイヤーという両方の視点から、皆さんに有益な情報をお届けします♪